つくば市神郡にあり、700年の歴史を持つ真言宗豊山派の古刹   電話 029‐867‐0185

仏教と真言宗

真言宗の仏様
真言宗は神道と同様に、非常に多くの仏様を拝みます。開祖の弘法大師空海上人は、大自然に多くの仏様を感じていました。このようなことから、僧侶が自身にご縁のある仏様をお祀りするなど、お寺によってご本尊がさまざまなのも真言宗の特徴なのです。つまり、真言宗のお寺だからといって、ご本尊様は○○○であるとは言えません。しかし、仏様の数が多いと檀信徒の皆様には分かりにくいのも事実です。そこで、仏様について大きく4つに分類しご紹介していきます。

如来グループ
・大日如来、阿弥陀如来、薬師如来など
如来とは、修業を終えて悟りを得た仏様を指します。特徴は、宝飾品で身を飾らず袈裟のみを身につけているところです。とてもシンプルな御姿といえます。
ただし、大日如来だけは例外です。4つに分類したすべての仏様は、大日如来の別徳の現れなのです。大日如来はすべての徳を円満に具えていて、求めに応じてその徳を様々な御姿で現します。例えば、病気平癒の求めには、薬師如来の姿、極楽浄土を望む者には阿弥陀如来の姿という具合です。つまり、大日如来はすべての仏様の源なのです。まさに、仏の中の仏でありますので、仏像、絵画等では他の如来と区別して、宝飾品で身を飾った王の如き姿で表現されます。

阿弥陀如来

菩薩グループ
・観世音菩薩、地蔵菩薩、普賢菩薩、文殊菩薩など
菩薩とは、如来を目指して修業している仏様です。修業には大きく分けて、「自利」と「利他」の二つがあります。自利とは自らを高める修業であり、利他とは他人を助ける修業です。この二つをバランスよく行っている人は、現世においても菩薩と呼ばれます。弘法大師空海上人も、自利、利他ともに秀でた僧侶ですので、空海菩薩とも呼ばれます。
菩薩の特徴は、如来と比べてきらびやかで、多くの装飾品で身を飾っています。これは修業を終えて悟りを得た如来に対して、菩薩は修業の途中であることから、我々と同様に迷いの世界にいる象徴といえます。菩薩の片足は悟りの世界、もう片足は迷いの世界にあります。迷いの世界の象徴が装飾なのです。我々は、きらびやかなものについ引き寄せられてしまいがちです。菩薩はそんな我々を、正しい道へ導くための方便(手段)として、わざわざ装飾品を身につけているのです。

明王グループ
・不動明王、愛染明王、降三世明王など
明王とは、恐ろしい形相から仏様なのかと疑ってしまう方もいるかもしれません。明らかに、如来や菩薩とは姿が異なります。しかし、この恐ろしい形相は深い慈悲の現れなのです。子育てを例にとると、子どもに対して時には心を鬼にして怒らなければならないケースがあります。しかし、怖い顔をして怒っていても、その心の中は子供のためを思う慈悲が満ちあふれているものです。それと全く同じで、明王は我々のことを思い、怒ってくださっているのです。
明王を拝む際には、その恐ろしい形相を目の前にすることで、自分を戒めると同時に、その裏側にあり慈悲の心を感じ取ることが大切なのです。

天グループ
・毘沙門天、弁財天、歓喜天、韋駄天、大黒天、梵天など
天とは、元々はインドにおける仏教以外の神様や日本古来の神様が仏教の教えに目覚め、仏教の守護神となった存在を指します。我々の悟りの世界への修行を助けてくれる存在であり、現世利益を与えてくれる存在でもあります。ある意味において、我々にとっては一番身近に感じられる存在かもしれません。その御姿は様々であり、菩薩に近い姿から、顔や腕が複数ある異形なものまであります。
現世利益をいただくためには、天を拝むことが一番の近道であると昔からいわれていますが、仏法をはずれた願い事は慎まなければなりません。もし、叶ったとしても、それは淡雪のごとく儚いものになることでしょう。人の欲は尽きることがありませんが、できるだけその欲は、正しく使いたいものです。その正しさを教えるのが、仏法・仏教なのです。